エッセイ

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そんなこと

 最近は地球温暖化を実感させられるがついこの間まではここらあたりはよく冷えた。 なんといっても明治35年(1902)、1月25日に氷点下41.0℃という日本観測史上の最低気温を記録している土地だ。 ちなみにこの日、青森では八甲田山を雪中行軍...
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電話

 年に一度か二度、ごくたまに朝6時を過ぎるのを待ちかねたように電話が鳴ることがある。 はずかしながら私たちはまだふとんの中で目覚めきらぬ頭につきささるような電話のベルに辟易しながらあゝまた部落のどこかの家で不幸があったなと考えている。 女房...
エッセイ

 私が暮らすのは学校だったところだから住宅のまわりにはかなりの空地がある。引越しの当初にはすぐにでもそのぐるりに木を植えるつもりだった。 どんな木がいいだろうと考えている間は楽しかった。 檜葉はあたりまえすぎて、面白くない。ポプラは棄てがた...
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ツイてない  

 雨が降っている。なんともうっとうしい。 雨は嫌いだ。とにかく無難に一日やりすごそう、そう自分に言い聞かせて、朝、家を出たのだった。 しかし前を走る若葉マークの小型車が右折の車をかわせなくてぐずぐずしているうちに信号が赤に変わった。それでな...
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ツイてる

 たとえば、朝、町に向かって車を走らせていると、まるで待ち構えるように信号が目の前で青に変わる。 一つや二つではままあることかもしれないが、三つ目になるとおやっという気持になるだろう。 四つ続くと、おゝ今日はツイてると誰だって思うはずだ。 ...
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好き嫌い

 牛肉は乳くさい臭いが鼻について口に出来なかった。 チーズも食べられなかった。 バターを使ったいためものも熱いうちは平気だったが冷めてくるとやっぱり臭いが気になって箸は止まった。 それでいて、熱い御飯の真中にバターを埋めてちょっと醤油をたら...
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蟻が10匹  

 もう5年も前のことになるだろうか。 その年、娘から贈られた父の日のプレゼントは黒い色画用紙を切り抜いて作った蟻だった。 贈り物はいつ、誰にもらってもうれしい。 だから、わくわくしながら小包をほどき、中に黒い蟻しか入っていないのを確認したと...
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マイ盃

 マイ箸というんだそうだ。 ハンドバックなどの片隅に自前の箸を忍ばせておいて、レストランや食堂での割箸の使用を自粛する。 森林保護やエコ運動と連動して、結構なブームらしい。 間伐材や端材を使うのだから目くじらを立てることもないという意見もあ...
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書けないときには

 書けないときには書かないと素人なら居直ってしまえばすむのだが、玄人となるとそういうわけにもいかないらしい。 たしかになりわいがかゝるし、約束をほごにしたあとの応報もこわいものだろう。 書けないときも書くのがプロだなんて見栄も馬鹿にできない...
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冬隣

 欠礼挨拶の葉書はどうして、どれも一様に紋切型になるのだろう。 やんことなく急場を凌ぐものであればわからないでもないけれど、そうでなくても結局、似たり寄ったりのところに落着いてしまうようだ。 賀状にはひとかたならぬ凝り方をする人であっても、...
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腕時計

 最近では千円でおつりがくるような腕時計もめずらしくなくて、それが信頼性や耐久性、デザイン性でも馬鹿にできないのだという。 中途半端よりいっそと愛用する女の子も少なくないらしい。 しかし、いいかげんな年になったらそれなりのものをと思うのも人...
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ゆめぴりか賛歌

 農業にはなんの関心もなかった。だから知識も小中学生程度もあったかどうか。 水田や畑が近所になかったわけではないが親の仕事とは関係がなく、そういう人とたちとの接点もまるでなかった。 家にも猫の額ほどの畑があり、母親が家計の足しにトマトや大根...
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霍乱

 朝、起きるとはげしい眩暈がして立っているのも困難な程だった。小用をたすにも支障をきたすぐらいで吐き気もある。 とりあえず這うようにしてベットに戻った。 ベットに臥すと小康を得るがそれで納まったかと起きあがるとやっぱり目は廻る。 なんのこと...
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 北海道の秋景色が本州と比べて、なにかものたりないのは柿の木がないせいかもしれない。 本州の山里では枯山水に柿の実がぽっりと一つ色を添えてえもいわれぬ風情を醸す。 もっともあれは偶然ではなく、あえて一つ残すのだそうだ。木守というそんな風習を...
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夢を話せば

 本当は船乗りになりたかった。 山育ちだからと単純に合点してもらってはこまる。そういう理由もないわけではないだろうがもっと心の奥に要因はあったのではないか。きっと心理学者なら興味ある分析をしてみせるだろう。 努力する以前に障害があるのだから...
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女友達

 ひょっとすると、そんなことになっても、おかしくなかったはずなのにそんなことがなかったおかげでいまだにいい関係が続いている女友達がいる。 幼い頃には近くに住んだがたいして口をきいたこともなかった。もっとも近所に数多くいた似たような年恰好の子...
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花の名前

 花の名前を覚えようとしたことがある。日本の詩歌を正しく観賞しようと思えばそれは必要なことだと思ったからだ。 たとえば万葉集、およそ4500首の内に植物が読み込まれたものが3分の1をこえる。桜、梅、椿など日本人として生長するうちに当然のよう...
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靴のことなど

 靴を選ぶ女房の姿を見るのが好きだ。 履きごこちをたしかめたり、鏡に写して様子を見たり、色の違うもの、型の違うもの、あれこれととっかえひっかえ迷う姿を見ているのが好きだ。 私自身がそんなふうにして靴を買うことが出来ないせいもあるかもしれない...
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雨蕭蕭

 9月。英語を母国語にする人たちでも、やっぱりセプテンバーという言葉にはある種の哀愁を感じるものなのか。 それとも、親の親の代あたりが初めて聞く異国の言葉にセンチメンタルな想いを仮託した、それを引きずるこの国特有の現象か。 長月とはいったも...
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闘いすんで…

 政治はショーだとは誰の言葉だったろう。 へたな芝居よりもというがたとえ上手なものだとしてもこれを上まわる興趣を与えてくれるかどうか。 心臓に毛を生やした先生としても予想外の危機ともなれば形振などかまってはおれぬのだろう。 自分の娘のような...
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ちょっと冴えないホラ話

 アルゼンチン。ブエノス・アイレスの街角では花売りや新聞売りにまじってりんご売りが軒を連ねている。 木工ロクロのできそこないのような妙な機械にりんごをはさんでくるくるまわすと面白いように皮がむけていく。 ふうん、りんごの皮むきにはいささか自...
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振りさけ見れば

 陶芸家の看板のせいかどうか、たまに原稿の依頼がある。 今回は人生をふりかえってというものだった。 わかる人にはわかると思うが800字は本気で書こうと思えば短すぎ、適当にごまかすには長すぎる。しかしこれがコラムの基本的な字数なのだからしかた...
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蜘蛛との闘い

 私はなによりも蜘蛛が嫌いだ。生理的に嫌悪を感じる。嫌悪ではなく恐怖かもしれない。実は蜘蛛という字を使う度に鳥肌が立つ。 これはもう立派な神経症というべきだろう。 スティーブン・キングの小説ではないが、前世では蜘蛛の糸に巻かれて生きながら餌...
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待たされ上手

 もしそんな言葉があるとしたら私はけっこう待たされ上手な方だろう。 1時間ぐらいなら放っておかれてもたいして苦にはしない。 本があればそれこそ御の字だがそうでなくても、妄想、空想をくりひろげていると時間は思いのほか、早く過ぎる。 呼びかけら...
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