辞典片手に

 辞典も楽しいものだ。
 小説にあきると私はよく辞典を開く。
 「一」は漢和辞典の最初に出てくる。
 息子の名前をどうするか、頭をつきあわせた両親があっちをめくり、こっちをめくりしてさんざん悩んだあげく結局元にもどって落ち着くまでにどれ程の時間がかかったことだろう。そんな場面を想像するとたしかに親のありがた味は増すがこれを「まこと」と読ませたおかげで私は終生まともに呼ばれることがないかもしれない。
 けっこう由緒ある出典なのだが女房などうそから出たまことと本気で信じている。
 まあ、そうふきこんだのは私自身なのだから、自業自得というべきか。
 「一」は部首も一なら、画数も最小の一、それでは最大画数の漢字はなんというか、一冊ものの辞典ならせいぜい35画程度の漢字が最後の方にのっている。
 馬を三つ重ねたものがある。馬がたくさんなんて意味だという。ひょっとしてと、探したらやっぱり鹿が三つ重なる字もあった。二つを並べたらすごいぞと期待したがさすがにそんな熟語はなかった。残念。
 諸橋轍次の大漢和辞典全13巻にはなんと64画の漢字も出てくる。
 龍という字をたて、よこに4つ並べる。音はてつ、意味は多弁。
 おまえもそろそろいいかげんなおしゃべりはやめろという示唆だろうか。

(北海道新聞 朝の食卓 2010年12月27日掲載)

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