職人

 私は20代も半ばを過ぎてから内弟子に入ったのでそこは自分よりも年若な“職人さん”ばかりだった。
 職人さんとは内弟子を卒業して、一通り焼物の仕事をこなせるようになった人のことを言う。工場に来て親方からロクロ挽きなど賃仕事をもらう、言われた仕事を自分の都合に合わせて期限までにこなせばよく、それ以外の拘束はない。
 独立して窯を持ったものの収入がままならないという人も多かった。
 手もとと言って私はその人たちの下働きで粘土を練ったり、手水を換えたりさん板を運んだりするのが仕事だった。

 大量の注文が入ったりすると数人の職人さんが競うように同じものを挽く。もちはもち屋で表面上はどれが誰の作かわからない程揃えててある。しかし裏の高台にはそれぞれの個性が隠しようもなく表れていて、これは誰のだとすぐに見分けがついた。茶道で器拝見と裏を見る意味がわかったような気がしたものだ。

 その前後の人生を考えるとうそのようだが、そこではいやな思いをさせられた記憶がない。人にも恵まれたのだろうし、やはり天職でもあったのだろうか。私は身体に障害があるがそれもみんなが上手にかばってくれていたように思われる。

 段取り七分と俗に言うが、職人さんが工場に来て、親方から新しい仕事をもらうと、やおら道具を作り始める。トンボ(寸法)、コテ、これで一日、翌日は昼近くにやってきて鉢の200も水挽きすると日の高いうちに口笛なんか吹きながら帰っていく。
 ゲイジッカなんて、俺はおかまになるつもりはねえや、なんてうそぶいていた。皆、粋だった、30年も前の話である。

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