パッチ

 標準的にはメンコが正しいのだろうが、バッタ、ツタンケなど各地方ごとに独特の呼び方もあったという。
 私たちはパッチといった。
 北海道は広いからどこでもそうだとはいいきれないが居酒屋で雑談の合間に聞き及んだかぎりでは北見でも余市でもやっぱりそう呼んでいたそうだ。
 黄ボール紙に武者絵などを印刷した薄紙を貼って、丸く切り抜いたもので、直径20cmに及ぶものから、3cmぐらいまで7、8種類もあったろうか。
 しかし10cm前後のものが扱い具合もよく、もっとも使われたと思われる。
 それを釘や蝋石で四角い囲みを切った地面において、交互にうちあい相手のものを裏返したり、その枠からはじき出したりして取る。
 その折、下手をして自分のパッチが裏返ったり、枠から出るとそれは相手のものになったのではなかったか。
 敷石の上や、当時は木製だったりんご箱をさかさにした、急造の台などもさかんに使った。
 粘り強く相手を打ち負かしていくお気に入りのパッチがあって、ここ一番という時には、それを使いたいのだが、相手に取られるとその分打撃も大きい。
 そこらあたり子供心にも大いに悩むところだった。
 小学生ぐらいのこどもの遊びで中学生になるともう見向きもしなくなるのだが男の子なら誰もが一時は夢中になったことがあるはずだ。
 どういうわけか季節の変り目になるとはやっていたような気がする。夏には夏の、冬には冬の遊びがごまんとあったせいかもしれない。
 秋口や春先、鼻水を啜りながら興じたものだ。
 俺たちは家の中で座ぶとんの上でやったとがんばる友もいたがそんな時代もあったのだろうか。彼は私よりも一周りも若い。
 私たちには普段、子供が家に集まって遊ぶなど考えられないことだった。
 単純なだけに技術の優劣が如実に出た。
 おこしという背負い投げのような恰好から手の掌ほどのパッチを勢いよくうちつけて顔ほどもある大型のものをひらりと返す、そんな大技を見せつけられて呆然としたこともある。
 水で濡らして、張りをとったり、まわりを折り崩したり、それぞれに工夫があったし、人知れず練習などもしたものだ。
 ばふらだのてっぱだの微妙なずるも当然のように存在した。
 ちなみにばふらとは上着の裾のボタンを2つ3つはずしておいて手をうち下す時その風も利用しようというもの、てっぱとは一瞬の隙をついて、パッチのかわりに指先ではらうことをいった。
 ばふらなし、てっぱなしと、事前に宣言して、勝負を始めるのだがどちらの技も巧妙に操る者がいて、ぼやぼやしているといいようにしてやられる。
 私はこういった遊びにはからっきし才能がなく、親から買い与えられたパッチを右から左に供給する役目だったからこういったインチキにもどれ程カモられていたかしれない。
 そういえば身代ぼろという取決めもあった。
 どちらかの手持ちのパッチがなくなるまで勝負を続けるという約束で、普通に相手をするのには私はあまりにも手ごたえがなかったのだろう、身代ぼろでなら遊んでやると挑まれて、泣く泣く身を引いた記憶もある。
 身代ぼろ、たいしていい思い出でもないはずなのに口にすると鼻の奥がつんと痛む。
 もうかれこれ60年も昔の話だ。

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