東日本大震災

 3月15日、火曜日、夜。
 比較的おだやかな気候だが気持は落着かない。
 東北地方は今夜あたりから冷え込むという。
 地震発生から5日、被災地ではいまだ茫然自失の状態が続いているようだ。
 体験の過酷さを思えば無理のないことかもしれない。
 それにしてもこの科学の時代に数日にわたって接触不能な地域が存在するとはちょっと信じがたい気がする。
 行方不明者も依然として厖大な数にのぼる。しかしその割に生存者救出の話が聞かれないのも今回の地震の特徴だろう。
 瓦礫におさえつけられた人たちは津波で息の根を止められてしまったか、考えるだにおぞましい。
 テレビ局好みの感動的な映像が少ないせいか、あるいは過熱報道に疲れたか、ぼつぼつ通常の番組にもどるチャンネルも現れてきた。
 しかし事態はけして一段落したわけではない。
 福島第一原発では休止中だった4号機にまで飛び火し最悪の様相を呈しつつある。
 避難指示も半径10kmから20km、30kmと拡大する一方だがすでに100km先の放射能レベルが異常に上昇したとの報道もあり、真相はどんなことになっているのか、想像すると恐ろしい。
 日本の原発技術は世界最高水準にあると自負するがそういう評価に胡坐をかいた慢心が後手、後手にまわらせついにこの事態を招いたのだとしたら、政府、及び関係諸機構の責任は重大だ。
 現場の作業員たちがそれこそ必死の活動を続けていることはうたがうべくもない。
 それを統括し、指導する立場の者の為体(ていたらく)をいっている。
 息をためて推移を見守る国民の眼をどうか意識してほしい。

 さて。石原都知事は今回の災害を天罰だと断罪したという。
 個々人がそのような意識を持って反省するのはいい。
 あるいはそのような自省が必要な時期であったかもしれない。
 しかしこのような、死者に対する礼を失した発言が公的な立場でなされていいはずがない。罹災した人たちをいったいなんと思っているのだ。
 中国では古来、天命説なるものをとく。
 易姓革命。首長が正しく政治を行わなければ天は怒って災難を下すという。
 おのれが4選出馬を表明したやさきの出来事だ。
 胸に手を当てれば思い当たる節もあるだろう。
 猛省をうながしたい。

 日本人について考えている。
 南北に細長く伸びた4つの島、火山と海とにはさまれた狭い土地にへばりつくように生きてきた人々。
 この小さな民族がどうして世界の第一線を歩み続けていられるのだろう。
 実にしばしば台風に叩かれ、地震に潰され、津波に呑み込まれながら、その度、きっと唇をかみしめて立ち向かった私たちの祖先。
 不幸を自己に収斂しようとじっと耐える人々の姿は時に神神しい。
 そして、きっと人々はまた立ち上がるのだ。
 今、私たちが直面する試練もいずれ、まちがいなく乗り越えるだろう。
 なんといっても、私たちは日本人なのだから。

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