その年の暮れ

(五)
 お菊の店はいつ行っても客で溢れかえっているな、壮太が感嘆したような声を洩した。
 お菊は昔から人あしらいはうまかったからな、藤吉がしたり顔であいづちをうつ。
 色気七分じゃねえのか、どの客もみなものほしそうな目でお菊の尻を追っていたじゃねえか、米次郎が余計なことを口走り、冗談じゃねえや、お菊はそんな女じゃねえぜ、留吉が口をとんがらせた。
 お前まだお菊と続いているのか、壮吉が信じられぬという顔で留吉を見た。

 お菊は今まで飲んでいた居酒屋の娘で与平達とは幼なじみだった。
 年忘れに一杯やらないかと音頭をとったのはやっぱりいつもの藤吉で幼なじみが五人、お菊のところで集まった。
 どうせ金を落とすならという頭が与平達にないわけではなかったし、幼なじみの気安さで気が置けないのもありがたかった。
 お菊も隙を見ては頼みもしない酒やさかなを運んできて一言、二言、口を挟んでいった。
 さっきは留吉にもお菊にもこれといった思わせ振りな態度は感じられなかったがと与平は思った。

 年季があけりゃ、俺も一丁前の大工だ、約束通りきちんとお菊をもらいに行くつもりだぜ。
 お菊と留吉が死ぬの生きるのと大騒ぎを仕出かしたのはもう三年も前の話だ。
 そのことは与平達みんなが知っている。
 留吉は年季があけるにはまだ間のある身体でお菊は十六才だった。
 誰が考えてもどうしようもない話に穏便に水を止したのはやっぱり周囲の大人の知恵だったろう。
 留吉の年季があける三年後まで話を棚上げにすることでとりあえず二人を納得させたが実際のところ誰もがそんな辛抱が出来るような恋だとは思っていなかった。
 それを二人は守り通していたのだった。
 ある種の感動が与平にもあった。
 お前たち、えらいな、壮吉は口に出したが与平も同じ思いだった。
 だけどお菊はあの店のかんばん娘だ、親がすんなり嫁に出すかな、米次郎がまた言わずもながのことをいい、壮太に脛をけとばされて顔をしかめた。

 こう寒くっちゃやりきれねえや、そこらで一杯飲み直そうぜ、藤吉が声高にいった。
 満月に近い月が寒々とした光を投げかけている。
 痩せた柳の枝が揺れた。
 たしかに掘割りを吹き上げてくる風は身に滲みる。
 誰もが藤吉の意見に異存はないようだった。
 その時だ。
 やめて下さい、女の悲鳴のような声がそう叫んだようだった。
 与平が周囲を窺うと横手の路地の奥で男と女が縺れあう気配があった。
 痴話喧嘩かと逸らそうとしかけた目を与平はもう一度、見据え直した。
 月明かりに取り囲むように後にまわるもう一人の男の姿が見えた。
 そうして、女はお葉だった。
 
 与平の動作が不振だったのだろう。
 どうしたと壮太が声をかけてきた。
 どうも知り合いが面倒に巻き込まれているようだ。
 しかしなぜ自分がそんな行動をとる気になったのかが与平にもわからなかった。
 与平は争い事は好まぬたちだ。できるなら見て見ぬふりをしたってさけて通りたい。それが今進んで渦中に入ろうとしている。
 酒のせいだったろうか。後に控えた四人の仲間はたしかに心強かったが留吉の心意気にあおられる程、うぶでもないはずだった。一度会ったきりのお葉をそれ程気に留めていたということもないのではなかったか。

 与平はためらわずに露地に入っていった。
 足は震えたがぞろぞろと後に続く人の気配が与平の背中を押していた。
 なんだ、てめえは、お葉に正対してなにかしゃべっていた痩せぎすの男が気配に気付いて振り返ると、すぐさま一歩踏み出してきた。
 目にけんのあるまだ若い男だった。
 なんだ、てめえは、それしか言葉がないように同じ科白をまた吐いた。
 本物のごろつきならここらで懐からドスでも出して脅したりするのだろうか。
 しかしこの男はもう少し分別を持ち合わせているようだった。
 人数を確め、力関係を忖度して一瞬に勝めがないとふんだようだ。
 なんだ、てめえは、さっきとはずいぶん違う低いひかえ目な啖呵だった。

 とんだ色男のおでましだってよ、けったくそ悪いや、行こうぜ、棄科白を残して男たちは露地の向うに消えた。ある意味、みごとな引き際だった。
 与平、やるじゃないか、にやにや笑いながら藤吉がいった。
 おまえはてっきり女嫌いだと思っていたんだがな。
 お葉は与平の背でちぢこまっている。
 ちっとは身体が暖まるかと思ったんだが、留吉が腕を拱ねいた。
 寒い、寒い、冷えた冷えた、さあ、さっさと飲み直そうぜ、米次郎が足踏みを始めた。
 与平、お前はここまでだ、その女を家まで送ってやりな、、壮太の言葉で進退を迷っていた与平にも踏ん切りがついた。

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