轆轤

 どうしてロクロというのだろう。
 ロクロを引きながら、時々そんなことを考える。
 ものの名前にはそれぞれに意味がある。ただ長い年月の間にそれが忘れられてしまうのだ。
 滑車などをそう呼んだり、六路と当てて、四方八方の意味で使ったりする例もあるから、円や円回転と無関係ではないのだろうがそこからさきがわからない。
 しかし、技術の方は紀元前3000年ぐらいまでさかのぼって、インダス文明、メソポタミア文明の遺蹟からもその使用が確認できる土器が出土している。
 日本でも須恵器などすでにロクロ成形のものが見られるというから本当に古い技術だ。
 大昔、まだ、ロクロ職人という言葉はなかったろうが、やること、考えることには、今日とそれ程、変わりはなかったはずでそんなことに思いが及ぶと、やっぱりある種の感慨はある。
 道具が未発達な分、奴らの方が腕はよかったろうか。
 湯呑だったら、江戸時代、一日1000個も引く職人もいたと聞く。
 200個程度でひいひいいっているんじゃ勝負にもならないか。
 手ロクロや蹴ロクロなど古い道具をあえて使用する人もいないわけではないが、今日では電動ロクロが一般的だ。
 モーターでターンテーブルを回転させる。
 パワー、持続性、速度、すべて自在でやっぱり便利なのはありがたい。
 ロクロ作業はとりあえず絵になりやすい。
 陶芸家の仕事といえばまず第一に思い浮かべる人も多いだろうが、しかし焼きもの全般からすればほんの一部にすぎないし、年がら年中、ロクロを引いているわけでもない。
 なんとなく特殊技術のようなところもあるがようは自動車の運転みたいなものでやれば出来るし、数をこなせば誰だって相応にうまくもなる。
 それでも陶芸にかかわろうとしたらまずロクロの技術を修得したいと思うのは人情かもしれない。
 私だってそうだった。
 菊ねりも土ごろしも出来ないまゝロクロにむしゃぶりついていった日々がなつかしい。

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