マイ盃

 マイ箸というんだそうだ。
 ハンドバックなどの片隅に自前の箸を忍ばせておいて、レストランや食堂での割箸の使用を自粛する。
 森林保護やエコ運動と連動して、結構なブームらしい。
 間伐材や端材を使うのだから目くじらを立てることもないという意見もあるが毎日大量に破棄される割箸の山を見せられるとしたり顔でそんな発言をするのも躊躇される。
 折たたみのもの、つないで使うもの、最初から小ぶりにまとめられたもの、デパートにはそれ専用のコーナーもあって、見ていても楽しい。
 値段はけして安くはないがやっぱり人前で取り出して得意になれそうな品がそろっている。
 そんな新風俗にはなじめぬと顔をしかめるには及ばない。
 股旅といった時代の渡世人はあっちこっちで一宿一飯の世話にはなったろうが箸は自前ときまっていた。
 万葉の昔、飯を椎の葉に盛ると歌った有馬皇子だって箸は持参していた可能性が高い。
 腹合わせの笄は箸にも使うためのものだったし、なんといったってきわめつけは、古来、乞食は箸と茶碗を肌身はなさず持ち歩く。
 ひよっとすると日本人にはそんな習癖が遠い昔になんらかの理由で遺伝子に組み込まれてしまったのかもしれない。
 男が盃を持ち歩いた気持もわかろうというものだ。
 ついこの間までといっても、昭和が終ってすでに20年もたつのだが、かっては気に入りの盃を錦の小袋などに納めて、袂や懐に男は飲み屋に出かけたものだった。
 女房に帯の余りででも作らせた小袋は使込まれてほどよくくたびれている。
 男は椅子を引き、従容せまらざる手つきで袋の紐をとき、おもむろに盃を取り出す。
 酒と手ずれで鈍色に沈む盃が卓に置かれると周囲の人の目が思わずそれに集中する。さすがにそれだけの迫力がその小さな器にもそなわっている。
 これは魯山人なんだがね、ロクロは豊蔵だと思うんだ。この高台の造りがね、いや、やっぱり豊蔵だ。
 問わず語りに一人ごちながら器に酒を満たす。
 すっかり毒気を抜かれて酔客は静かに口元にはこばれる盃を息もつかずに見つめている。
 ふん、こんなもんが百万円かい、下世話なことを思うのは銚子をとどけたおかみさんぐらいのものだ。
 うん、いい酒だ、一瞬の間をおいて男がいう。
 いい酒だねえ、いい燗だ。
 ようやくほっと場がなごむ。
 いいかげんな年になったら、これぐらいの芸のできる男でありたいものだ。
 しかし、人品、風貌、物腰、態度、そのどれを欠いてもこれはもう絵にならぬ。
 最近盃を持ち歩く場面に出会わなくなったのはそのような度量の男が絶滅寸前の状況にあるせいだろうか。
 盃ならそれほど売る程あるのに残念なことだ。
 男を磨いて、マイ盃、やってみませんか?

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