苦しい時は神だのみ

 どうしようもない状況におちいった時には神に縋る。
 「神さま、助けて下さい。私はなにも悪くはありません。」まさかそう声に出すわけではないがけっこう真剣に祈る。
 すると神助がある。おかげでなんとか無難に切り抜けてこられたのだと思っている。
 物心がついて以来、ずっとそうしてきた。
 私は虚弱児で、苛められっ子で、無力だった。
 しかし理不尽な状況を前にした時、どうして突然、神が出現することになったものか、私にもわからない。神の、神たる由縁というべきか。
 親たちに信仰はなかった。正月、鏡もちを飾るのは、風習とみるべきだろう。
 今も窯を焚く前には家族が揃って拍手を打つ。かしこまって仏壇に手を合わせもする。だけどそれは儀式であって信じているかと問われればごめんと頭を下げるしかない。
 女房は私が不信心なのを知っている。「今さらなんのかみ。」などと白ける。
 私は「うちのかみさんさ。」ととぼけるが、しかし苦しまぎれの時、助けてくれる神さまはたしかにいるのだ。
 神さまというからには仏さまではなないなと思われるかもしれないが、そうともいえない。神道は語る程、知らないがキリスト教でいう神ともちょっと違う。だけど、みなどこかに通じるものがあるような気がするのは人間が最初に「神」と名付けたものがそういう存在であったかもしれないからだと思う。
 宇宙の原理。宿命を司る摂理。どれもまだ少し、私の神さまをいいあらわすには言葉が足りない。きっといいあらせないところにある程のものなのだろう。
 そこで私はこのごろ祈る。
 「神さま、お願いします・・・・・・。」
 きっと目かけはあるはずだ。

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