犬の名前(日本篇)

 日本人に最も膾炙した犬の名前と言えばやっぱりハチ、忠犬ハチ公だろうか。渋谷駅前にあるあの銅像の犬のことだ。東京帝国大學農学部教授上野英三郎とこの秋田犬の物語は本になったり映画になったりしているからあえて説明するまでもないだろう。文字通り喪家之狗となって人々の同情を誘った。
 銅像つながりで言うのだが上野公園の西郷隆盛が犬を連れているのはご存知だったろうか。西郷どんも無類の犬好きで、常に十数頭の犬を飼っていた。その中でも特にお気に入りだったこの犬はツン、薩摩犬の牡だとか。西郷隆盛の人気を考えればもう少し人に知られてもよい名前だと思う。
 タローとジローも忘れられないが、このカラフト犬たちの思い出にはやはりある種の感慨がつきまとう。人間の都合で南極に置き去りにして一年、よく生きていたと国中が沸いたが、いささか身勝手なはしゃぎ方だったような気もする。
 
 話の方向を変える。物語からも少し。
 おとぎ話、花咲じいさんのシロも子供の頃には幾度となく聞かされた名前のはずだ。シロ・ポチ論争なんておかしな騒動があったけれど、どう考えたってそんな昔、ポチなどというフランス風の小洒落た呼び方があったとは思われない。シロはやっぱりシロでいい。
 それにしてもこの話には妙に犬の生態がリアルに描かれていて驚かされる。ごはんを一杯食べたら一杯分、二杯食べたら二杯分といったあたりも仔犬から幼犬にかけての一時期はまさにそんな感じでぐんぐんと大きくなる。ものをくわえて運んできたり、ここ掘れわんわんといった仕草もよくみせる習性だ。粉にして撒くと花が咲くというのも骨はリン酸カルシウムなのだから理に適っている。犬と人の関係がよほど濃厚な地方で生まれた物語なのだろう。

 南総里見八犬伝の八房もぜひ覚えておいて欲しい名前だ。個人的にはこの物語が大好きで子供向けに書き直されたものから本格的なものまで何度読んだかわからない。今はもうすっかり忘れてしまったが八犬士の名前などそらで言えたものだった。
 昔、東映の八犬伝で中村錦之介の犬塚信乃と東千代ノ介の犬飼現八が芳流閣の楼上で大殺陣まわりを演じたシーンなど昨日のことに思い出される。
 
 日本の動物文学は世界的に見ても決して低い水準のものではないと思うのだがなにせ一般的には人気がない。チンだのマヤだのといきなり言われても面食らうだろうが、戸川幸夫の高安犬物語、椋鳩十の熊野犬の主人公の犬の名前だ。犬好きが読めば必ずはまる、犬はそれ程でもないという人でも犬好きになること請け合いだ。今日でも入手しやすい本だから、ぜひ一読を。

 子供の頃、世間ではジョンとかペスとか何か外国人めいた呼び名が流行っていた。私は長い間、それを進駐軍への意趣返しでジョンなんて呼んで寄って来ると頭をぽかりと叩いて溜飲を下げているのだと思っていたが、どうも深読みに過ぎたようだ。あれは外国名の犬の名を呼ぶことで、つかの間、自分自身も外国人になったような仮想に浸ったものなのだろう。日本人の性癖を考えるとこっちの方が正しい気がする。

 最近の犬の名前は、モモ、ナナ、サクラがベストスリーだという。
 人間の子供の名前と比較するとむしろ大人しい気がするが、これについてはどう考えればよいのだろうか。

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